模倣

宮本は日本の子ども観についてこう言います。
「子どもたちのしつけの中で重要視されたのは、この清潔にして貧乏に負けない意欲であった。だから貧乏さえが美徳であった。日本人にとっての未来は子どもであった。自らの志が行えなければ、子どもにこれを具現してもらおうとする意欲があった。子どもたちにも、また健気な心構えと努力があった。」
子を思う親の心は、今でも変わりません。しかし、未来を見る力、何が子どもにとって必要なのかを見る力が衰えてきた気がします。
「子どもたちも過去から現在へ一貫して模倣→工夫→創造を、その遊びや祭りや、仕事の中に繰り返しつつ成長しているのであって、しかしそれが親と子の繋がり、大人と子どもの繋がり、子ども同士の繋がり、学校と子どもの繋がりなどによって、子ども自身が人格として形成されて行く。このような関連を環境と名付けるならば、日本における子どもの環境は、決して悪いものとは言えなかった。」
子どもの成長や人格形成は、様々な人との関係の中で育まれてくると宮本は言います。その関係において、日本は恵まれた環境にあり、様々な人とつながりを持つことができる恵まれた環境の中で、子どもたちは世界の人々が感心するような高く清い心を持ってきたのだと言うのです。宮本が言っているように模倣→工夫→創造と言うプロセスにおいて、最初に「模倣すること」から始まるとしたら、まず、「模倣すること」が、他人との関係の中で行われなければならないのです。そしてそれは、人類の遺伝子に組み込まれた行動です。子どもたちはその「関わりの学び」を、かつては「神の祭り」に参加したり、仕事を手伝ったりする中で、そしてもちろん遊びの中で、学習していきました。(藤森平司著「保育の起源」より)


子どもの学びのスタートは、「模倣」です。人との関わりの中で模倣したことを子どもが工夫し、新しいものに創り上げていく。このプロセスの中で子どもは学習するのだと言うことです。

子どもは主体的な存在で、子どもは自ら学び、その学びは人的環境に大きく関係することが上記の文章からわかります。


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