省察的実践家

 京都府の専門性といえば、近年必ず言及されるのが、プロフェッショナル研究の第一人者、ドナルド・A・ショーン氏の「省察的実践家」という考えです。今日、プロフェッショナルとは、専門領域の確固たる固定的な知識・技能に通じている者だけを指すわけにはいかなくなりました。医学も法律も、あるいはその他およそほとんどの専門知は、急激な社会の変化とともに、ものすごいスピードで進展・変貌しているからです。
 では今日、プロフェッショナルとはいったい何を意味しているのでしょうか?ショーン氏は「省察的実践」あるいは「行為の中の省察」という概念を提起しています。ショーン氏はいいます。

「行為の中で省察するとき、その人は実践の文脈における研究者となる。すでに確立している理論や技術のカテゴリーに頼るのではなく、行為の中の省察を通して、独自の事例についての新しい理論を構築するのである。」

 今日プロフェッショナルとは、こうした「省察的実践家」のことを指す。そうショーン氏は主張するのです。

 このことを、「教育」の専門家としての教師に当てはめてみると、次のように言うことができるでしょう。まず、担当教科の知識体系に精通していることや、それを授業を通して伝える力、また子どもの成長の過程を見極める力といった、従来求められてきた専門的な知識・技能はやはり必要です。しかし、教師はむしろ、一人ひとりの子どもに応じて、また状況に応じて、これら専門的な知識・技能を柔軟に編み変えていく、そのような「省察的実践家」であることが求められているのです。ショーン氏はいいます。

「省察的実践者としての教師は、生徒たちに耳を傾けようと試みる。教師はたとえば、生徒の間違いや困惑のありようについて時間をかけて検討することに関心を集中しようとする。なぜ、この生徒は”36+36=312”などと書くのだろうか。生徒がこの問題についてどのように考えているかを理解し始めると、教師はこの生徒のための新しい問いや、生徒が取り組むための新しい活動、そして生徒が足し算を学ぶのを援助する新しい方法を生み出していくに違いない。その場合、授業計画については、固定的なものを退け、おおまかな全体的な活動プラン、教師が特定の生徒たちの問題についての、その場その時点での理解に即した調整を可能とするような骨格案に変えなければならない。」

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