人間関係の流動性

 改めて、学校・学級の閉鎖性に注目してみましょう。
 学級において、これまで以上に群生秩序がはびこっている社会構造上の要因は、価値観の多様化にあります。しかしその一方で、その学校構造上の要因は、私の考えではやはり「逃げ場のない教室空間」にあると言うべきです。社会の価値観は多様化しているのに、学校はその多様性を、いまだ一つの空間・様式にいわば囲い込んでしまっているのです。現代の私たちが直面しているのは、むしろ学校が新たな「習俗」になってしまったという問題です。価値観の多様化とその相互承認が進展している一方、学校・学級は、その多様性を許さない空気を持った、新たな「習俗」になってしまっているのです。
 では、私たちはこの問題をどうすれば克服していくことができるでしょうか。私の考えでは、それは、それぞれの生徒が、自分なりの仕方で多様な人たちと多様な人間関係をできるだけ豊かに作っていける環境を整備することです。過度に同質性を求められる集団の中で、時にサバイバルしなければならない空間に子どもたちを閉じ込めるのではなく、「人間関係の流動性」をある程度担保し、同質性から離れられる機会を保障するのです。そのことによって、多様な生徒たちが、「自由」な存在同士として相互承認関係を互いに築き合っていけるような機会をつくり出す。そうした一定の流動性に開かれた学校空間の設計が、今日きわめて重要なのではないかと思います。
 では、ここでいう「人間関係の流動性」を、私たちはどのようにすればつくり出していくことができるでしょうか?あくまでも一例ですが、たとえばイエナプラン教育のように、異年齢・異学年からなるクラスを編制する方法もあるでしょう。あるいは、保護者や地域の人たちなど、外部に学校を開き参加してもらうのも一つの手です。閉鎖的になりがちな学校の、風通しをできるだけ良くするのです。人間関係の流動性の仕掛けとして、他にも担任の先生が入れ替わり立ち替わりするという方法もあるかもしれません。一人の先生が、30人~40人の生徒全員に十分目配りするというのは、現実的に言ってかなり難しいことです。生徒が多ければ多いほど、例えばいじめにも気が付きにくい。さらに深刻な問題として、先生もまたいじめに加担してしまうということもあります。教師も人間だから、どうしても好き嫌いはある。いじめをしている子がお気に入りで、いじめられている子がどうも好きになれない、ということも残念ながらままあるのです。しかし、担任の先生が何人も入れ替わり立ち替わりすれば、いじめに気付く可能性は高まるだろうし、いじめられている子にとっても、「この先生になら相談できる」という先生に出会える可能性は高まるでしょう。

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