学年学級制

 学校と言えば、私たちはまず30人〜40人の、同一年齢の子どもたちからなる、いつもの「学級」をイメージします。しかし今、この「学級」を舞台に様々な問題が噴出しています。いじめしかり、不登校しかり、自らをキャラ化し、キャラ化され、空気を読み合うことを強いられる「友だち地獄」しかり。学級崩壊は、文字通り「学級」の自明性を揺るがす現象だと言っていいでしょう。こうした現象は、従来のような「学級」という仕組みそれ自体が、今や時代にそぐわなくなってしまっていることを意味しているのではないでしょうか。もしそうだとするなら、私たちはこれを一体どのように改変していくことができるでしょうか。そのような観点から、より「よい」学校空間のあり方を模索していくことにしたいと思います。
 教育社会学者の柳治男氏によると、今日のような「学年学級制」、つまり同一年齢の子どもたちからなる学級制が誕生したのは、1862年、イングランドの「改正教育令」においてでした。学年学級制は、教育への国家介入が強められていく中で、国家によるいわば中央統制のツールとして導入されることになったのです。どの学校においても、同じような教育を与え、同じような成果を収められるようにするためには、全国一律の画一的なカリキュラム、画一的な教育形態が必要になります。生徒の成績もまた、十分に管理しなければなりません。それを可能にするためには、できるだけ生徒たちの移動を抑制し、学習深度を揃える必要があったのです。要するに「学級制」とは、子どもたち一人ひとりの質の高い学びを保障するというよりは、管理の効率性の方により重点の置かれた制度として始まったものだったのです。
 日本において「学級制」が初めて登場したのは、明治24年の文部省令第12号「学級編制等ニ関スル規則」においてでした。ここにおいて意図されていたのは、「起立」「礼」「着席」に顕著に見られる、集団的命令への従順さの涵養(育成)でした。こうしたあからさまな規律化への反発として、日本ではクラスを「感情共同体」へと変容させると言う、独自の道が開かれることになったのです。「学級は一つの共同体であるべきだ」という規範や、「仲間づくり」の文化などが重視され、「生徒と一体」の教師こそが理想の教師だとされるようになりました。しかし、このような濃密な「共同体」においては、クラスになじめないこと、場の空気を読めないこと、集団としての規律を乱すことなどが、単純に「悪」と見なされやすくなってしまう傾向があります。そして私たちは多くの場合、それはシステムに問題があるのではなく、子どもの心や態度の方に問題があるのだと考えてしまいがちです。しかし、ただ年齢が同じだというだけで、ある時からいきなり一つの空間に押し込められ、自分で選んだわけでもない人間関係を、その後何年間も送り続けなければならないということは、子どもたちにとっては不自然かつ相当にストレスの多い空間になりかねません。それでも「学級制」は、子どもたちがそこから抜け出すことを、多くの場合なかなか容認しようとはしないのです。「矯正」されるべきは、むしろこの不自然なシステムの方にあるのではないか。少なくとも、強固な「学年学級制」を最善の制度と自明視することからは、脱却する必要があるのではないか。私はそう思います。

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