学校空間の再構築

 いうまでもないことですが、学校は時代と共に変わっていく(べき)ものです。しかし、その際常に忘れてはならないこと、それは何度も言うように、学校は、社会における「自由の相互承認」の原理の土台であり、また同時に、すべての子どもの自由を実質化するための機関だと言うことです。では今日、私たちは学校という場所を、いったいどのように作っていけば良いのでしょうか。
 公教育が育成を保障すべき教養は、大きく分けて2つあります。一つはいわゆる学力、もう一つは「相互承認の感度」です。「相互承認の感度」は、私の考えでは次の三つをその本質的な内実としています。一つは自分を承認できること、二つは他者を承認できること、そして三つは、他者からの承認を得られること、です。自分を承認することができなければ、人のこともなかなか認められないものです。また、他者からの一定の承認を得られなければ、やはり自分も他者を承認しようとはなかなか思えないものです。「相互承認の感度」は、自己承認、他者承認、そして他者からの承認という、三つの条件がそろってようやく十全に育まれるものなのです。
 ではこの「相互承認の感度」育成の場として、今の日本の学校は、どの程度機能しているでしょうか?まず教育の機会均等は、そのための最低条件です。生まれの違いによって受けられる教育に著しい差があれば、「どうせあいつらは金持ちだから」とか、「どうせあいつらは田舎者だから」といった具合に、「相互承認の感度」の育成を最初から掘り崩すことになってしまうからです。そして日本におけるこの教育の機会均等は、近年いくらか掘り崩されてきた感もありますが、今なお世界的に見れば高い水準で維持されているといっていいでしょう。
 しかし他方で、今の学校は、「相互承認の感度」を育むどころか、むしろこれを自ら打ち砕いてしまうような場になっていることもしばしばです。いじめ、体罰、空気を読み合う人間関係・・・。これらはいずれも、互いを1個の人格として承認し合うものではないばかりでなく、むしろ「相互不信」「相互嫌悪」をこそ育んでしまうようなものです。その意味で、今の学校は、その使命を自ら台無しにするような空間に、しばしばなってしまっているのです。

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