人は何のために学問をするのか?

著書「ソーシャルブレインズ入門ー〈社会脳〉ってなんだろう」で、わかりやすく社会脳について語っている脳科学者の藤井直敬さんは、社会脳の仕組みをもとに、脳科学が私たちの暮らしにどのように貢献できるかを考えているのですが、答えはこの本の始めにいきなり書かれています。しかも悲しい結論です。「がっかりさせてしまうかもしれませんが、脳科学が私たち個人を直接幸せにすることはできません。お金や社会的地位が人を幸せにできないように、脳科学の知見が私たちを変えることはありません。」そしてこのような例を出しています。その考え方は、現在の教育に対してある示唆を提示しているような気がします。「たとえば、記憶力を増大させる秘訣を教わったとしても、受験生でもない限りそれを活かすことはできませんし、そもそもいまどき、大量の知識を覚えるために時間を使うくらいなら、その時間を他のことに使って、困った時には携帯で検索すればいいからです。物知りであることは、もはや昔のようには価値がなくなっているのです。」実際に、身の回りにいる若者たちは、すぐにスマホを使って検索します。しかもそれは、私と同じ年代の年齢の人たちが一生懸命覚えてきた知識よりも、よほど大量で、正確です。また、こんな観点からの指摘もあります。「もし、脳科学が天才を作る秘密を明らかにするとしたら、そのおかげで天才になった人やその家族は幸せになるでしょうか?天才の生涯やその家族の話を見聞きするにつけ、あまりそうとも思えません。どうも個人の幸せは、そのような目に見える卓越した能力とは関係ないように思えるのです。」彼のいう言葉は、脳科学における研究が個人を直接幸せにするかというだけでなく、私たちが何のために学問をするのか?なぜ、子どもたちに勉強を強いるのか?ということを問うているような気がします。(藤森平司著「保育の起源」より)

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