一般福祉

 以上、そもそも教育とは何か、という問いの答えとして、自由と自由の相互承認と言うキーワードを挙げて論じてきました。もちろん、これはまだまだ抽象的な言い方です。ですから、この抽象的な原理に基づいて、これをいかに具体的、現実的なものにしていけるか、私たちは考えていく必要があります。しかしその前に、もう一つ、ここで「一般福祉」と言うキーワードを挙げておきたいと思います。
 その意味するところは極めて単純です。教育政策は、ある1部の人(子ども)たちだけの自由を促進し、そのことで他の人(子ども)たちの自由を侵害するものであってはならず、全ての人の自由を促進しているときにのみ正当と言える。これが「一般福祉」の原理です。社会の原理が自由の相互承認をおいて他にないとするならば、これはほとんど自明のことと言って良いでしょう。例えば、もし学校教育が、都市部の子どもたちには有利なものとして、他方、農村部の子どもたちには不利なものとして、そのことの十分な相互承認が得られないまま作られていたとするならば、それは自由の相互承認の社会原理に反した政策と言わなくてはならないでしょう。言われてみれば、当たり前のことです。しかしこのあたりまえのことが、実はこれまで長らく忘れ去られてきたのです。もちろん、何を持って一般福祉が達成されたと言える日の、絶対的な基準はありません。しかしだからこそ私は、この一般福祉と言う概念を、概念(言葉)として提示しておくことが重要だと考えています。
と言うのも、この言葉を得たことによって、私たちは教育政策の善し悪しを論じ合う時、「それは本当に一般福祉に適っていると言えるのか?」とか、「この政策はどういう意味で一般福祉に適っているのか?」とかいった具合に、議論の足場を得ることができるようになるからです。
 近年、「平等か競争・多様化か」と言う議論がしばしば繰り広げられています。教育の平等を守りぬけと主張する人たちと、子どもたちを早い段階で能力別に選別し、それぞれの能力に応じた多様な教育を行うべきだと主張する人たちの対立です。しかしこの対立もまた、私の考えでは、「一般福祉」の原理を導入することで一定解消することが可能です。この原理を底に敷けば、私たちは「一般福祉」を達成するために、教育にはどのような「平等」が必要か、そして、どのような「競争」や「多様化」を容認あるいは促進すべきと言えるのか、と問い合うことができるようになるからです。「一般福祉」の原理は、教育政策の正当性を考え会う際の、いわば最もメタレベルの視座なのです。

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