ドルトンプラン

 以上のようなわけで、一律的な一斉授業から、それぞれの子どもの特性に合った「学びの個別化」への転換が、今日求められている第一の方向性だということができるでしょう。そして、この転換は、もはや避けられない趨勢になりつつあるように思います。避けられない、というのは、今や多くの人が画一的な一斉授業に疑問を抱いているから、というのに加えて、オンライン学習の衝撃が、学校現場に少しずつ影響を与え始めているからです。(これは、今回のコロナウイルスのせいでさらに大きく進歩したのではないでしょうか。)質の高いオンライン学習のコンテンツは、近年爆発的に増え続けています。質の高い学習コンテンツを、自分の関心に応じて、完全に理解できるまで何度でも繰り返し、しかも無料で見ることができる。これは、決められたカリキュラムに従って一斉に授業を行う、従来の教育に大きな転換を迫るものといえるでしょう。
 一斉授業には、あまり良い言葉ではありませんが、「落ちこぼれ」問題というものが常につきまとっています。どうしても授業についていけない子どもと、理解が進んでいるため退屈してしまう子どもとが、一定数出てしまいやすいものなのです。また、一斉授業は、それぞれの先生の授業力や、生徒と先生との相性等にも大きく依存します。しかし、近年のオンライン学習の発展は、この問題を克服しうる「学びの個別化」を、かなり高いレベルで達成できる可能性をもっています。
 では、どのような学びを、私たちは具体的にどのように展開していくことができるでしょうか。代表的なものとしては、20世紀アメリカを代表する教育哲学者、ジョン・デューイの影響を受けて開発された、パーカーストの「ドルトン・プラン」やウォッシュバーンの「ウィネトカ・プラン」などが挙げられます。たとえば、パーカーストがマサチューセッツ州の町ドルトンの学校で始めたドルトン・プランにおいては、子どもたち自身が、教師と共に学習の年間計画及び1ヶ月ごとの計画を立てます。この計画は、生徒と教師の間の契約とみなされます。生徒たちはこれを自らやり遂げる責任を負い、教師もまた、この契約を達成できるよう、しっかり子どもたちの学びを支える責任を負うのです。教師による一方的な勉強の「押しつけ」は、子どもたちをかえって学びから逃避させてしまいやすいものです。イヤイヤやる勉強は、やはり効率も悪いものです。しかし自ら計画を立て、できるだけ自発的に学びを続けていけるような環境を作れば、子どもたちはむしろ、責任を持って自らの学びを進めていくようになる。パーカーストはそう主張するのです。
 もっとも、勉強を「やらされる」ことが向いているという人もいれば、そのような時期がしばしばあることも事実です。ですから、私は強制的な勉強一般を否定するつもりはありません。しかし、むしろだからこそ、子どもたち一人ひとりに応じた「学びの個別化」は、やはり重要な教育のあり方だといえるのです。

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