サドベリー・バレー・スクール

 アメリカのマサチューセッツ州にある、4歳から19歳までの子どもたちが通う、サドベリー・バレー・スクールという学校は、全ての子どもが教員と同じ一票の権利を持ち、学校をどのように運営していくかを話し合いによって決めていくという、徹底して民主的な学校として知られています。しかし注目すべきは、そのラディカルなまでに民主的な学校運営ばかりではありません。子どもたちの自主的な学びを尊重する点においても、そのラディカルさは群を抜いています。この学校では、決められた内容を決められた通りに教えるということを、一切しないのです。例えば読み書きでさえ、教師の方から強制的に教えることはありません。なぜなら、どんな子も時がくれば必ず「読みたい」と思うようになるからです。そしてそう思いさえすれば、子どもたちは自ら学び始め、そしてあっという間に他の子どもたちに追いつくというのです。決められた内容を決められた通りに学ぶのではなく、それぞれの子どもたちが、自分の必要な興味・関心に基づいて、自らのテーマを設定しそれを学び取っていく。それがサドベリー・バレー・スクールにおける学びのあり方です。
 もちろん、こうした教育には長らく激しい批判も寄せられてきました。たとえば、「子どもたちに自分の好きな活動を自由に選ばせると、必ず一番楽な道を選ぶのではないか?」といわれます。しかしグリーンバーグ氏は言います。子どもは、むしろ自らの探求に打ち込む時にこそ、「最も困難な道をすすんで選ぼうとする」のだと。楽をしようとするのは、実は勉強を強制されているからなのだ、と。(これは、当園の子どもの選択を重視した保育でも保護者の方が心配されることに似ています。「好きな遊びばかりで遊んでいて、小学校に言っても大丈夫ですか?」と。)
 あるいは、こんな批判もなされます。「子どもたちには、調和の取れた発達のために、興味・関心に関係なく様々なことをバランスよく学ばせるべきだ」と。それに対してグリーンバーグ氏はいいます。そもそも、「調和のとれた発達」とは何なのか?「さまざまなこと」をまんべんなく知っていることが、本当に「調和のとれた発達」と言えるのだろうか、と。そこで言われる程度の知識・情報なら、先述したようにインターネットですぐに手に入ります。そんな時代に、「さまざまなこと」を”知っている”ことにこそ価値を置くのは、はたして妥当なことといえるのだろうか、そうグリーンバーグ氏はいうのです。
 ちなみに、このサドベリー・バレー・スクールは、私立学校ではありますが、決して裕福な家庭の子どもたちの学校であるわけではありません。授業料は一般的な公立学校と同じかそれ以下です。ごくごく一般的な子どもたちを受け入れる学校で、公立学校から”厄介払い”された”問題児”たちさえも受け入れているとのことです。さらにちなみに、長い年月にわたって続けられてきた様々な追跡調査・研究を通して、サドベリー・バレーの卒業生たちは、総じて自分が満足する仕事に励むことができているということです。

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