教育の機会均等

 そこで以下、「一般福祉」を達成するための「平等」と「競争・多様化」のバランスについて、少し考えておくことにしたいと思います。まず、「教育の機会均等」は、どうしても守らなければならない「平等」と言うべきです。どんな家庭に生まれても、どんな地域に生まれても、必ず誰もが一定水準以上の教育を受けることができるということは、「自由の相互承認」の原理に基づく限り決して欠いてはならないことです。
 義務教育が終わる時点で、全ての子どもたちが、一定以上の学力や「自由の相互承認」の感度を必ず身につけている、という意味での平等も必要でしょう。この「一定以上」をどう設定するかは難しい問題ではありますが、今の日本ではとりあえず、学習指導要領がその保障の根拠になっています。画一的な学習指導要領なんてなくしてしまえ、という議論はよく聞かれますが、こうした積極的な価値もあるのだということについても、十分自覚しておくべきです。すべての子どもたちに「自由」になるための力を最低限必ず保障する、それが公教育(学校)の重要な使命なのです。
 ただ一方で、障害や病気などのために、自らの「自由」を十分育んでいくことがどうしても難しい子どもたちもいます。その場合は、教育に加えて社会福祉がそうした子どもたちを支える必要があります。
 以上のように、学校教育(義務教育)の入り口において、その機会を均等にするということ、そして出口において、「自由」のための最低限の力を必ず保障するということ、この二つの平等は、「自由の相互承認」の原理に基づく限り、なくてはならないものです。つまり、この二つの平等を十分達成している教育政策を、私たちは最低限「一般福祉」に適った教育政策ということができるのです。
 

コメント

人気の投稿