学力=学び続ける力

 21世紀の先進国は、「知識基盤社会」「高度知識社会」であると言われています。モノの大量生産・大量交換が主流の産業社会から、知識・情報・サービスが中心の、ポスト産業主義へと移行を遂げた社会です。産業主義の時代、企業の従業員の多くに求められていたのは、企業によってある意味「訓練されやすい」力だったと言えます。一部の経営者層の指示の通りに、大多数の労働者層の人々が商品を大量に生産し流通させる。それが、産業主義社会における基本的な労働のあり方でした。しかし、ポスト産業主義社会の今日、事情は大きく変わりました。企業が従業員に求める力は、次々と新しい情報やサービスが求められるこのポスト産業社会においては、従来のように知識を「ためこむ」力より、自ら考え自ら学ぶ力を持った人材が、これまで以上に必要とされているのです。それは、必ずしも大企業に限った話ではありません。急激な時代の変化の渦中にあっては、どのような企業も多かれ少なかれ、この変化に柔軟に対応することが求められるのです。今日私たちの多くは、どのような立場にあったにせよ、絶えず「学び続ける」ことができなければならない境遇に置かれているのです。
 以上のような現代の社会状況を踏まえれば、学校で育まれるべき「学力」もまた、徐々に、しかし大きく編み変えられていく必要があるといえるでしょう。現代社会や企業が求めているのは、決められた細かな知識を忍耐強く「覚え込む力」よりは、必要に応じて必要な知識・情報を十全に、自らのものにしていける、そのような「学び続ける力」へと移り変わっているのです。
 このように、今日では誰もが多かれ少なかれ、「自ら学び続ける」ことを求められているわけですが、とすれば、今、教育にその育成が求められている「学力」も、この観点から本質を取り出す必要があるでしょう。「目的・状況相関的方法選択」の考えにのっとって、公教育の「目的」(自由及び自由の相互承認の実質化)をできるだけ達成するために、現代という時代「状況(知識基盤社会)」においては、どのような「学力」が必要か、そう考える必要があるのです。
 さしあたり、次のように言っておくことにしたいと思います。現代の公教育がその育成を保障すべき「学力」の本質、それはつまり「学ぶ力」のことである、と。教育は、子どもたちに「学ぶ力」を育むことで、その後の長い人生において「自ら学び続ける」ことを可能にする、その土台を築く必要があるのです。例えば、今や私たちは、細かな知識を自分の中にため込んでいなくとも、インターネットで検索すれば瞬時にその知識・情報を得ることが可能です。とすれば、私たちに必要なのは、繰り返しますが、信頼できる知識・情報を、必要に応じて自ら見つけ出し学び取っていく力だということができるでしょう。

コメント

人気の投稿