学力とは?

 まずは、(公)教育が育むべき「教養(=力能)」とはいったい何か、以下で明らかにしたいと思います。序章で述べたように、それは最も根本的には、一人ひとりの子どもたちが「自由」になる、つまりできるだけ、「生きたいように生きられる」ようになるための”力”のことです。では、この力は、具体的には何を表すのでしょうか。さしあたり、大きく次の二つに焦点化することができるだとうと思います。一つは、いわゆる「学力」、もう一つは、序章でも述べた「相互承認の感度」です。いうまでもなく、学校は「学力」を育むための場として存在しています。しかしそれだけでなく、学校は「相互承認の感度」をすべての子どもたちに育むためにも存在しているのです。
 ところで、この「学力」という日本語独自の言葉ですが、教育学においても膨大な研究や議論の蓄積があるものの、いまだに使う人によって込める意味がバラバラで、いつも議論を混乱させる要因になっているのが現状です。学力を、いわゆる「知識量」とするか、「問題解決能力」とするか、はたまた「学習意欲」も含んだ概念とするかによって、「学力低下」と呼ばれた現象をどう捉えるか、まったく異なる見解が生じることになったのです。むしろ教育学者の佐藤学氏も指摘しているように、「どのような学術的研究においても、学力を一義的に定義することは不可能」と考えた方がいいのかもしれません。しかしそれでもなお、私たちは「学力」と呼ばれるものについてのできるだけ共通了解可能な考え方を見出しておく必要があります。まさに私たちは、公教育の目的(各人の自由及び社会における自由の相互承認の実質化)を達成するために、現代という時代状況を十分把握した上で、今日における学力の本質とその育み方について考えていく必要があるのです。

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